アール・デコ様式のホテルが建ち並びレトロな雰囲気を残すマイアミ・ビーチは、実際には100年前にはほぼ無人だった新しい街です。都市の建設は自然発生的なものではなく、土地開発業者(ディベロッパー)によるものだったといえます。
ディベロッパーといえば2013年にマイアミ・ビーチ市のコンベンション・センター改築にともなう大型開発の入札がありました。建築家レム・コールハース氏(OMA)を擁したSouthBeach ACEと、弟子筋のビャルケ・インゲルス氏(BIG)を起用したPortman-CMCという2社のディベロッパーが対決、結果はOMA - SouthBeach ACEチームの勝ち。(詳しくは『レム・コールハース案に決定、展示場再開発』をご参照ください)
ところがその4ヶ月後に市長が改選され一転、新市長のもと、Southbeach ACEとは交渉を中断、計画はスケールダウンさせて練り直し、入札も別の業者を集めてやり直し、ということに…。最初に選ばれたディベロッパーはたまったものではありませんね。
Miami Beach starts new process to redevelop Convention Center (Miami Herald、2014年2月12日)
別のディベロッパーで入札やり直しとは、なにやら癒着・利権の臭いがしますが、マイアミ・ビーチ市初期の歴史をふりかえると、癒着というより街そのものが不動産開発業者によって作り上げられたといえそうです。当時活躍したディベロッパーの名前はコリンズ・アベニュー(Collins Avenue)、フィッシャー島(Fisher Island)、ルマス公園(Lummus Park) などの地名に残っています。(※歴史に関するソースはおもにWikipediaおよびコリンズ運河歴史ツアー)
ルマス公園 |
ニュージャージーからマイアミ・ビーチにやってきたジョン・S・コリンズ (John S. Collins、1837-1928) は、農業が目的だったようです。1913年にマイアミ・ビーチと対岸のマイアミ市を結ぶ橋を建設しました。目抜き通りのひとつであるコリンズ・アベニューのほかコリンズ公園 (Collins Park)、コリンズ運河(Collins Canal) にも彼の名が冠せられています。
コリンズ運河 |
コリンズ運河はミッド・ビーチに向かって伸びる川インディアン・クリークとビスケーン湾を結んでおり、農作物の運搬を容易にするため開削。2012年、運河開削から100周年の年に、運河の歴史をたどるボランティアツアー(主催:Miami Design Presavation League)が開催されました。ツアーのゴール、コリンズ公園にはジョン・コリンズの扮装をしたボランティアも。
ジョン・コリンズに扮するボランティア |
前述のジョン・コリンズに融資するなど、同時代に生きたディベロッパーがカール・G・フィッシャー (Carl G. Fisher、1874-1939)。インディアナ出身のフィッシャーはすでに道路建設などで財を成していた実業家でした。1910年に休暇でマイアミ・ビーチを訪れてから土地を買うようになり、観光業に目をつけたフィッシャーはホテルやゴルフ場を建設したり路面電車を敷設したりしました。
Carl Fisher Clubhouse |
フィッシャーはゴルフ場で象を飼うなど、あの手この手で集客に努めたとのこと。コリンズ運河沿いには元ゴルフ場のクラブハウス「カール・フィッシャー・クラブハウス」(1915年)があり、現存するマイアミ・ビーチ最古の公共の建物だとのことです。現在は音楽などパフォーマンス・アートに関わるNPO「Sobe Institute of the Arts」が入居しています。
Carl Fisher Clubhouse |
フィッシャーはマイアミ・ビーチとマイアミのあいだに横たわるビスケーン湾に多くの人口島を築きました。またマイアミ・ビーチの南の対岸にあるフィッシャー島は元々フィッシャーが所有していたためその名になりました(のちに鉄道王のヴァンダービルト家のヨットと交換したとか)。これらの人工島は現在では高級住宅地であり、またフィッシャー島は住人と招待者のみ入ることができる島です。ジュリア・ロバーツの別荘がある(あった?)という話もあります。
フィッシャー島 (写真奥) |
開発のスケールでいえばカール・フィッシャーが現在のマイアミ・ビーチの基礎を築いたといえるかもしれません。また彼の開発が1920年代のフロリダ土地投機ブームを後押ししたと思われます。一方、当時は人種隔離の時代でアフリカ系アメリカ人はマイアミ・ビーチに住むことはできませんでした。またフィッシャーらディベロッパーはユダヤ系アメリカ人も排除したので、ユダヤ系のひとびとは開発が及んでいない5th Street以南に暮らしていました(『もうすぐハヌカのお祭り。マイアミのユダヤ文化』をご参照ください)
ところで『これは詳しい!「マイアミの休日」』でも少し触れていますが、カール・フィッシャーのもとで、なんとふたりの日本人、田代重三氏と須藤幸太郎氏が働いていたそうです。原生林のようだった土地を整地する仕事だったとのことで、両氏とものちに造園のビジネスを起こしたそうです。マイアミ・ビーチの白砂の浜はこの時代に人工的に整えられたと思われますが、日本人の手によるものだったのかもしれません。
マイアミビーチ誕生に貢献した日本人:100年前の原野から世界のリゾートへ
(ディスカバー・ニッケイ、2013年11月8日 ※初出 JB Press 2013年8月7日)
フィッシャーはその後ニューヨーク州ロングアイランドのリゾート開発を手掛けますが、その間にマイアミにハリケーンが上陸(1926年)、そのうえ世界が大恐慌に突入し、財産を失いました。このへんはコーラル・ゲーブルズ市を開発したジョージ・メリックと運命が似ています(『地中海リバイバル様式の街、コーラル・ゲーブルズ』をご参照ください)。しかし晩年は小さな家に移りながらも、友人の仕事を手伝うなどしてそこそこ暮らせていけたようです。
現在のマイアミ・ビーチ |
さてこのようなマイアミ・ビーチの土地開発をテーマにしたゲームを発見しました。「Build it! Miami Beach Resort 」(「マイアミ・ビーチを作ろう!」といったところでしょうか)です。日本語版あり。
「Build it! Miami Beach Resort 」(G5 Entertainment)
アンドロイド版
iOS版
1920年からスタートし、更地のマイアミ・ビーチにホテルや娯楽施設を建てて観光地として発展させていく、というゲームです。無料で1929年くらいまでプレイできます。有料版を購入すれば、より長い時間をかけて大きな街に発展させることができるようです。建設→メンテナンスの繰り返しで、やや単調ではありますが・・・ハリケーンや不況が来ないのも、物足りない気がしますが・・・ここまでマイアミ・ビーチにフォーカスしたゲームもほかにないと思います。カール・フィッシャーの気分を少し味わえるかもしれません。
参考リンク:
藤沢市|マイアミビーチ市(アメリカ合衆国)の紹介
Sobe Institute of the Arts (Carl Fisher Clubhouse, 1915)
2100 Washington Avenue, Miami Beach, Florida 33139
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