2014年4月11日金曜日

20世紀後半のマイアミを知るドキュメンタリー2本


マイアミの街を散歩すると、ダウンタウンでは土地投機熱が高まった20世紀初頭の、サウス・ビーチではアール・デコ時代の雰囲気を感じることができます。そのあとの第二次世界大戦の名残は街には少なく、時代は飛んで21世紀のブリッケルでは高層ビルが次々と建設されています。では20世紀後半のマイアミはどんな状況だったのでしょうか?この時期を知るのにちょうど良いドキュメンタリーを2本ご紹介します。


モハメド・アリがいた1960年代のマイアミ

2014年2月25日、ツイッターで元ボクサーのモハメド・アリ本人による初めてのツイートがあったと話題になりました。

伝説の初タイトルから50年、モハメド・アリ氏が初ツイート(AFP、2014年2月15日)

「私はリストン戦で世界を変えた。それから50年経った今、私はそれをツイッターで語っている」(AFPの記事より引用)

1964年2月25日、カシアス・クレイはヘビー級チャンピオンのソニー・リストンに勝利、試合後にモハメド・アリと改名。当時アリはマイアミで暮らしており、リストン戦はマイアミ・ビーチのコンベンション・センターで開催されました。この頃のアリに焦点をあてたドキュメンタリーが、マイアミの公共テレビ放送局WLRNが製作した「Muhammad Ali: Made in Miami」(2008年 監督:Gaspar Gonzalez、Alan Tomlinson) です。

「Muhammad Ali: Made in Miami」予告篇
(YouTubeのWLRN Public Radio and Televisionチャンネルから)

同番組によれば1960年秋、アリはマイアミ・ビーチにあるボクシングジム「5th Street Gym」のアンジェロ・ダンディ(Angelo Dundee) からトレーニングを受けるためマイアミに移住。トレーニングが実り1964年2月25日に不利とみられたソニー・リストン戦で勝利、ヘビー級チャンピオンに。

しかし当時のマイアミは人種隔離の街。アフリカ系のアリはマイアミ・ビーチに住むことはできず、ダウンタウンの北隣、アフリカ系住人の街オーバータウン(Overtown) に滞在。ただし当時のオーバータウンは、マイアミ公演にやってきたアフリカ系エンターテイナーらもそこに滞在したため、「南のハーレム」と呼ばれるほど活気あふれるブラック・カルチャー地区だったそうです。その後、高架ハイウェイに地区が分断されるなどしてさびれ、現在も空き地が多くよそ者が迂闊に入れない雰囲気なのですが、2014年2月には同地区の歴史ある劇場の修復が行われ、今後は光が当たってゆくかもしれません。

オリンピック金メダリストですでに有名人であったカシアス・クレイ(アリ)はしかし、マイアミで人種差別を受け続けました。「Muhammad Ali: Made in Miami」では、服を買いに行ったデパートで「うちの店では有色人種は試着できません」と言われたり、ジムに行くために通るマイアミ・ビーチとダウンタウンを繋ぐ橋マッカーサー・コーズウェイ(MacArthur Causeway) で何度も警官に職務質問をされたり、といったエピソードが紹介されています。
アリが警官に職務質問を受けたMacArthur Causeway
時はアフリカ系アメリカ人の平等な権利を求める公民権運動の時代。同時期に盛り上がったネーション・オブ・イスラム(Nation of Islam、アフリカ系アメリカ人のイスラム運動組織)のマルコムXと親しかったカシアス・クレイはイスラム教に改宗、リストンに勝利した2日後、イスラム名のモハメド・アリに改名しました。

余談ですが、カシアス・クレイがモハメド・アリに変わる時期にトレーニングを受けた「5th Street Gym」はマイアミ・ビーチのワシントン・アベニューと5th Streetが交わるブロックにありました。2013年秋に移転するまで、ずっと同じ場所で営業していたんだ…と思いこんでいたところ、なんと!現在の「5th Street Gym」は単なる同名のボクシングジムで、実はアリともトレーナーのアンジェロ・ダンディとも無関係なんだそうです(Miami New Timesの記事より)。

Sorry WSVN, But That Wasn’t the Original 5th Street Gym That Got Jacked
(Miami New Times、2013年8月15日)

しかし意図的に関係があるように見せかけており、同ジムに泥棒が入った際のテレビの取材でも、レポーターが勘違いしていたとか。筆者もすっかり騙されておりました。
5th StreetからAlton Roadに移転した「5th Street Gym」。アリの写真を掲げるが実際は無関係

※「Muhammad Ali: Made in Miami」はこちらで全編見ることができてしまいます:
https://www.youtube.com/watch?v=a-VCmMhTGt4


1970〜80年代はリアル「マイアミ・ヴァイス」の時代

モハメド・アリの初タイトル獲得のしばらくあと、ドラマシリーズ「マイアミ・ヴァイス」のモデルとなった1970〜80年代のマイアミに関するドキュメンタリーが「Cocaine Cowboys」(2006年 監督:ビリー・コーベン)です。コロンビアからの麻薬密輸で潤い、その後ギャングの抗争で凶悪犯罪都市と化すマイアミを、売人、運び屋、殺し屋など当事者へのインタビュー(獄中もあり)を交えて描いています。

「Cocaine Cowboys」予告篇 ※注:R17指定(YouTubeのrakontourチャンネルから)


マイアミは海に面しており、周辺に飛行場も多いので、船でも飛行機でもアクセス可能です。「Cocaine Cowboys」では、コロンビアのメデジン発のコカインを、小型飛行機でバハマ諸島など経由しフロリダに運んだあと(このときフロリダ半島東岸を通ると沿岸警備に引っかかりやすいので、目立たない西岸に向かって飛んだのだそうです)、船に積み替えて都市部に移動させたり、官憲の動向を無線の盗聴で把握していたり、パナマのノリエガ政権と良好な関係であったことなど、当時の裏話が披露されます。
麻薬運搬に利用されたHaulover Park脇の水路
作中で語られるエピソードで興味深いのは、当事者だけでなく、マイアミの街そのものがコカインマネーによっておおいに潤ったという点です。コカインの消費者はプロアスリートなど裕福な者が多く、密輸で大金を手にした関係者たちはマイアミでお金をじゃんじゃん使いました。アジトを兼ねた不動産を買い、ポルシェやロレックスを買い、マイアミでは高級品の在庫が払底し入荷待ちに。こうしてドラッグマネーが合法ビジネスに流れ、ナイトクラブが次々と開店、マイアミはパーティ・タウンとなり、さらに不動産開発にお金が回ってダウンタウンで高層ビルの建設が始まったとのことです。銀行やホテルのビルが立ち並ぶ一角「Miami Center」がこの頃に建設されています。
1980年に建設されたMiami Center
麻薬ビジネスに関わっていたのはアメリカ人、コロンビア人、キューバ人が多かった模様。「Cocaine Cowboys」によれば、キューバ人が関わった背景は、1980年にカストロ政権がアメリカへの大量亡命の船(マリエル・ボートリフト)におおぜいの犯罪者を紛れ込ませていたことが一因のようです。大金が流れ込む一方、マイアミではこうした麻薬ギャング同士の抗争が激化。ショッピングモール「デードランド・モール (Dadeland Mall)」では1979年、白昼にも関わらず銃撃戦が勃発。争うギャングたちの中でもコロンビア出身の女ボス、「ゴッドマザー」ことグリセルダ・ブランコは特に残忍で、敵のバラバラ死体をショッピングバッグに詰めて道ばたに置かせたり、子供を殺させることも厭わなかったそうです。
麻薬ギャングの銃撃戦があったDadeland Mall。現在は小綺麗で平和なモール。
殺人発生件数は上昇しつづけ、1981年にマイアミは「Paradise Lost? (失楽園?)」という不名誉な特集でタイム紙の表紙を飾ったとのこと。「バーガー・キング」はマイアミに本社を置くファーストフード企業ですが、あまりの殺人事件の多さに遺体の保管場所に困った当局は、バーガー・キング社の大型冷凍車を借りて一時保管に使用したとのことです。

そんな中でみずから麻薬ビジネスに関わる腐敗警官がおおぜいいた警察は当てにならず、犯罪都市となったマイアミの市民は、連邦に助けを求めて1982年にロビー活動を展開。ついにレーガン政権のブッシュ(父)副大統領の指揮のもと連邦が動きだし、軍隊まで動員してマイアミのドラッグ業界は壊滅しました。

なお「Cocaine Cowboys」はずいぶん前からマイケル・ベイ監督、マーク・ウォルバーグ主演で映画化の話があるようです。マイアミが舞台の映画「Pain & Gain」のタッグが再び実現するでしょうか?


関連サイト:
「Muhammad Ali: Made in Miami」番組紹介サイト

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