2017年3月1日水曜日

リバティ・シティを、305を代表して 映画「ムーンライト」



第89回アカデミー賞授賞式のラスト、まさかの大ハプニングの末に作品賞を受賞した「ムーンライト (Moonlight)」。作品賞のほかに助演男優賞、脚色賞も受賞。脚色賞をうけて原作者が壇上で語った「We’re two boys from Liberty City representing the 305」とは?



マイアミが舞台の映画「ムーンライト」。授賞式の大騒ぎをニュースでご覧になった方も多いのではないでしょうか。筆者は80年代のマイアミの物語、くらいの予備知識しか持っていませんでした。授賞式後に、マイアミの地元メディアではどんな記事が出ているのかな、とMiami Herald紙のサイトを覗いたところ、「ムーンライト」とバリー・ジェンキンズ監督にまつわるミラクルなエピソードにすっかり魅了されてしまいました。

Miami plays a starring role in the glorious ‘Moonlight’ (Miami Herald、2016年10月21日、アカデミー賞以前の記事)

脚色賞のスピーチで原作者タレル・アルヴィン・マクレイニーは「We’re two boys from Liberty City representing the 305」、僕たち(監督と原作者)はリバティ・シティ出身、305を代表しているんだ、と語りました。リバティ・シティはマイアミ市の北にあるコミュニティ、305はマイアミ・デード郡の市外局番。マイアミではよく「305」がマイアミの愛称として使われます。地元愛を示したスピーチなのだと思います。

※ツイートしているのはマイアミのドキュメンタリー「Cocaine Cowboys」のBilly Corben監督

ここで胸が熱くなるのは、なんと二人はリバティ・シティ出身だったのか…!ということ。リバティ・シティは犯罪多発地区と言われており、筆者は行ったことがありません。(往年のバイオレンス・カーアクションゲーム「グランドセフトオート」の舞台リバティーシティーはここをモデルにしているのではないかと想像。)1930年代のニューディール政策時代に、アフリカ系労働者への住居供給と、ダウンタウンの過密なアフリカ系コミュニティの移動を目的に建設されました。アフリカ系に限定されているのは、マイアミは20世紀半ばまで人種隔離政策を取っていたためでしょう。あのモハメド・アリですらマイアミで人種差別にさらされまくったといいます。
「Miami  Architecture」(University Press of Florida)より、リバティ・シティ周辺の建築マップ

建設当時のリバティ・シティは設備が整いヤシの木が生い茂り、美しいところだったそう。しかしその後はメンテナンスが充分にされず、中産階級の住人は郊外へ引っ越し、貧困層の住人がコミュニティの多くを占めるようになりました。バリー・ジェンキンズとタレル・アルヴィン・マクレイニーは、子供時代には互いのことを知らなかったそうですが、ともにリバティ・シティで育ち、二人とも母親が麻薬中毒者だったと。マクレイニーのお母さんはエイズで亡くなったそうです。彼は受賞スピーチで、今は亡きお母さんへ…と言っていました。涙。

バリー・ジェンキンズ監督は高校生のときまでリバティ・シティに暮らしていたようです。車を持っておらず、歩いて海に行ったり、バスでダウンタウンに映画を観に行ったりしていた。マイアミには公共交通がそこそこあるのですが、車社会でもあるので、車が無いというのは彼が経済的に恵まれていなかったことを表していると思います。いつも地面の近くにいたので、メトロレイル(高架鉄道)に乗ると、車窓からの眺めに目を奪われた。

“I remember being on the ground all the time — except for when I rode the Metrorail. You would catch it at 79th Street and ride it into Coconut Grove, and once you got past downtown, you would pass through all these buildings and float above all these palm trees. That’s a view you only got when you rode the Metrorail. So I knew that at some point in this movie, this kid was going to ride the Metrorail!”
(前掲記事より)
メトロレイルの駅

メトロレイルが映画にも登場するようです。楽しみ。こうしたエピソードを読むと、ジェンキンズ監督は、美しいものに出会ったときの子供時代の気持ちをずっと覚えている人なんだなあ、と思います。と同時に、なにか孤独な感じがします。家族や友達の話が出てこないからでしょうか。ゲイである原作者マクレイニーもまた、孤独な子供だったと想像します。

高校ではアメフトをやっていたジェンキンズは、奨学金を得てフロリダ州立大学タラハシー校に進学します。アメフト奨学生ではなく、文学専攻だったそう。三年生のときに専攻を映画制作に変更。しかし映画制作のバックグラウンドがなく何もできなかったため、一年間休学して映画を見まくる日々を過ごしたと。なんとフランス映画、アジア映画から見始めたそうです。映画祭に行き「シティ・オブ・ゴッド」のクリエイターたちと出会ったり。

タラハシーで映画制作とは不思議な感じがします。筆者は一度だけタラハシーに行ったことがありますが、フロリダの州都とはいえ、保守的な土地柄のアメリカ南部の小さな街という感じ。ゾンビ映画ならば何本でも撮れそうだけれど。ラジオをつけると神を讃える番組かリベラルを罵る番組ばかりが流れてきました。ここで彼が学生として作った短編は、9・11事件へのリアクションである「My Josephine」というアラブ系移民の物語だったという。どこまでも独自性がある人です。そしてここで重要な出会いが。

タラハシー


“Barry was the kid who was consistently making something beyond his peer group. He was exploring characters who were outside of the mainstream. What 21-year-old from Florida is making a movie in Arabic?”

To give birth to 'Moonlight,' writer-director Barry Jenkins dug deep into his past (LA Times、2016年10月21日)より
バリーはいつも友人たちの想像を超えるものを作っていた、と語るこの人は、映画制作コースの学友であり、のちに「ムーンライト」のプロデューサーとなるアデル・ロマンスキー。さらに「ムーンライト」の撮影監督となるジェームズ・ラクストンも学友(でロマンスキーの旦那さんだそうです)。タラハシーでそんな邂逅があったとは…!

タラハシー


大学を卒業したジェンキンズ監督は、カリフォルニアに移って映像関係の仕事をしつつ、2008年にサンフランシスコで初の長編「Medicine for Melancholy」を監督。1万3千ドルの低予算で作られたこの映画は、大変評価が高かったそうです。

マイアミ「ボルシチ映画祭」共同主催者であり「ムーンライト」共同プロデューサー、アンドリュー・ヘヴィアは、どうにかして「Medicine for Melancholy」のような映画をマイアミで作りたい、バリーをマイアミに呼び戻さなくては!と奮起(監督とは知り合いだった模様)。マイアミのウィンウッドを舞台にした短編「Chloropyl」を監督してもらいました。このヘヴィアが戯曲家タレル・アルヴィン・マクレイニーをジェンキンズに紹介。おお、ここでも重要な出会いが。マクレイニーは「ムーンライト」の原作「In the Moonlight Black Boys Look Blue」を書いていましたが、まだ一度も映画化されていませんでした。

さてジェンキンズ監督は最初の長編監督作から何年経っても二作目を撮ることがなく、前述の学友であり映画プロデューサーであるアデル・ロマンスキーが「次の映画を作らなきゃだめ!」とけしかけて「ムーンライト」のプロジェクトが動き始めたそうです。もともと原作者マクレイニーの半生が色濃く反映されたストーリーを監督が脚色、自身のことも投影させました。短期間で撮影をこなし(助演女優賞にノミネートされたナオミ・ハリスのパートは三日間で撮影したそうです)、予算は一作目よりは多いけど150万ドルというロー・バジェットのインディーズ映画。

ロケはリバティ・シティで。子役はマイアミの中学生をオーディションで採用。短編「Chloropyl」のクルーも参加。撮影中は子供たちがたくさん見物に来て、監督を指して「He grew up here!」彼はここで育ったんだよ、と子供同士で話していたそうです。親たちは、ここは街灯が無いからふだん夜に子供を外に出さないのだけど、あなたの夜間撮影中はライトが明るいから安心、と語ったそうです。

Moonlight Official Trailer (配給会社A24のYoutubeチャンネルより)

ジェンキンズ監督をとりまく友人たちと、マイアミの危険といわれる地区の人たちが作り上げた「ムーンライト」、映画完成までの道のりと監督の人生そのものがまるで映画のようです。完成後も、オスカーの大トリでは間違った封筒を渡された50年目のボニー&クライドが「ラ・ラ・ランド!」と読み上げて、登壇者の喜びのスピーチの最中に「ムーンライト」が本当の受賞作と判明…と信じられない後日談が付きました。作品賞はプロデューサーのための賞ですが、ほかのどのノミネート作よりも低予算だったのではないでしょうか。また、LGBTQが題材の作品の作品賞受賞、ムスリムの俳優(マハーシャラ・アリ)の受賞は、アカデミー賞では初めてのことだそうです。

日本公開は2017年4月28日からということで、とても楽しみです。


映画「ムーンライト」公式サイト

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